父の病
私の父は3年くらい前から「間質性肺炎」
という病気を患っています。
この病気は原因不明で治療法もなく、
俗にいう難病と呼ばれているものです。
症状としては肺が硬くなることで(肺が膨らまないので)
酸素が十分吸えず、呼吸が苦しくなり咳も出ます。
かの有名な演歌歌手、美空ひばりさんもこの病気で
亡くなっていったとか。。
ではそもそもなぜ臓器が硬くなるのでしょう。
肺があらわすサイン
臓器が硬くなる、それは頑固な思い、
どうにもならない窮屈な思いが
そこにある、ということです。
父は10年以上前に母が脳疾患を患ってから
ずっと一人で母の介護を担ってきました。
私たち娘はちょうど結婚して子供が生まれる頃
だったので自分たちのことで忙しく、母のことは
ほぼ父に任せきりにしていたことは否めません。
性格的に穏やかな父でしたが、いつしか母に暴言を
吐くようになり、時々手が出たりもしていたようです。
私たち娘は、そんな父の様子を見て手伝うどころか
むしろ怖くて寄り付けなくなってしまうような、
そんな状況にまで陥ってしまっていました。
父が怒り(そのベースにある悲しみ)をサインと
して出してくれていたのに。
肺の病、それは悲しみや生き苦しさの象徴
今となってはそう分かることも、当時は全く
氣づいていませんでした。
なぜ病気をやったのか
いろいろな出来事を経てついに父の病気が
症状として体に現れたことで、父はとても
苦しそうでした。
が、結果どうなったかというと、母の面倒を
見れないという「正当な理由」ができたことで
母を施設に預けることができ、介護を免れました。
言い方を変えれば、介護をしなくていい理由を
自分の命を懸けて作ったということです。
もちろん本人の顕在意識ではそんなことつゆも
思っていないと思います。
ですが体は正直なのです。
どんな手段を使っても、潜在意識で望んでいる
ことを叶えてくれようとします。
体は手段を選ばないのです。
本当の望み通りに現実をつくる
何度か入退院を繰り返した父でしたが、
ある退院時、自宅へ戻った際におもむろに
私にこう切り出してきました。
「お母さんをまた自宅に戻して介護する」と。
当然まだ病状は続いていましたので、まだもう少し
様子みてからにしよう、と父を止めました。
ですが私の制止も聞かず、母を預けている施設に
「〇日までに退所させて自宅に戻します」と
連絡し、引っ越し業者の契約もして荷物を自宅に
運び込ませました。
「お母さんを自宅に戻せるのはこれが最後な
気がするから今やりたい」と話す父に、一抹の
感動すら覚え、仕方なくいろいろな手続きを
私も手伝うことにしたのです。
母が自宅への帰宅を予定していた前日、父の
退院後の定期受診がありました。
その際に何と、主治医から
「入院中には見られなかったが、肺に穴が
開いている。すぐに入院して手術する必要
がある」とその場で入院させられることに
なりました。
父がまた入院することになり、結果母の自宅への
帰宅は取りやめとなりました。
私や母、周りは呆然です。
一番呆然としたのは父だったでしょうが。
父は自分の思いだけで暴走して周りに迷惑を
かけてしまったことを反省しているようでした。
今思うと、やはりこれも父の潜在意識のなせること
だったのだろうと思います。
「やっぱり介護は嫌だ。窮屈な思いは嫌だ」という
本心の本音がそうさせたのかと。
治りたいけど治りたくない、の本質
父の場合、病気が治るとその先には母の介護の
負担が待っています。
頭では治したいと思っていても、体が治さない方向に
動くのです。
このような状態を心理的逆転といいます。
いわゆるアクセルとブレーキを同時に踏んでいる
状態です。
このような状態だと、病気をやめようと思っても
なかなかやめられません。
まずはこの状態を解除してあげることが必要です。
なかなかやめられない症状は
心理的逆転は多くの人が知らず知らずに抱えています。
なかなか症状がやめられない背景には、
この 心理的逆転が入っている可能性は高いです。
ただ、自分で自分のことを氣づくのって
なかなか難しいです。
もし、もしかしたら自分もそうなのかな?と
思ったら、ぜひ氣づき堂の施術を受けに
きてください。
カラダが本当は治したくない本当の理由
それが分かるかもしれません。
一言
氣づくってやっぱり大事